LOGIN電車を降りると、見慣れた景色が広がっていた。
蓮司〈れんじ〉から告げられた事実。
それを受け止めきれずにいた恋〈レン〉だったが、10年後も変わらない街の雰囲気に、少しほっとした表情を見せた。 そんな恋を見て、蓮司が優しく微笑む。 夕陽を背にした蓮司の笑顔に、また恋の鼓動は早まった。何よ。蓮司さんってば本当、格好いいじゃない……未来の私、この蓮司さんに何の不満があったってのよ。
「蓮司さんは、その……未来の私のこと、もう好きじゃないんでしょうか」
「ははっ、剛速球が来たね」
少しは動揺するかと思っていた。しかしそう聞かれることを予測していたのか、蓮司は笑顔でその言葉を受け止めた。
「僕は花恋〈かれん〉のこと、今でも好きだよ」
「本当ですか」
「うん。恋ちゃんに嘘ついても仕方ないからね。別れて何年にもなるけど、今でも僕は花恋が好きだ」
「だったら」
「でもね、さっきも言った通り。恋愛というのは、相手がいて初めて成立するんだ。僕がいくら想っていても、それだけじゃ続けられない」
「じゃあ、私が蓮司さんと距離を置いたってことですか? 蓮司さんの気持ちは変わってないのに、私が」
「いやいや、そうは言わないよ。花恋だって僕のこと、嫌いになった訳じゃないと思う。ただ好き嫌いだけで何とかなるほど、男女の関係は簡単じゃないってことなんだ」
「でも蓮司さんは私のこと、好きでいてくれてるんですよね。だったら」
「恋ちゃん」
少し声を落とし、諭すように蓮司が言った。
「好き嫌いだけじゃない、今言った通りだよ。僕が花恋を好きだって気持ち、それは本当だ。僕は多分これからも、花恋の幸せを願いながら生きていくと思う。ちょっとストーカーっぽいけどね」
茜色の空を見上げて蓮司が笑う。
「花恋以上に好きになれる人はいないと思うし、出会いたいとも思わない。でもそれでも、花恋とまた付き合うことはないと思う。恋愛って本当、難しいから」
「もし未来の私が、やり直したいって言ったら」
「仮定の話には答えられないかな。それにその気持ちは、花恋じゃなく恋ちゃんの気持ちだ。君は僕にとって大切な幼馴染だし、そう言って貰えて嬉しいよ。でもそんなことは起こらないし、万一あったとしても……ね」
それ以上は聞かないでほしい。蓮司の心の声が聞こえたような気がした。
恋は言葉を飲み込み、またうつむいた。「まあ恋ちゃん、折角ここまで来たんだ。精霊に願いを叶えてもらう、そんな一生に一度あるかないかの経験をしてるんだ。このイベント、しっかり楽しまないと」
「私の願いは、未来を見ることじゃないんです。二人の幸せな姿を見て、二人を冷やかして、思い出話に胸をときめかせて……それが望みだったんです。それなのに……」
「難しいね、男と女って言うのは……いや、人と人ってのは、かな」
いつも二人で歩いた道。
それだけで、恋にとってこの道は特別なものだった。 この道には、たくさんの思い出が詰まっている。 時には言い合いもした。困らせたこともあった。 笑った、怒った。そして泣いた。 この道は私と蓮〈れん〉くん、二人の歴史そのものなんだ。 それは10年後だって変わらない。 ただ違うのは、もう二人で歩くことがないんだということ。 そう思うとまた、瞳が濡れてきた。* * *
「ただいま」
ドアを開けた蓮司と一緒に、見慣れた玄関に入る。
すると中から、物凄い勢いで走ってくる女の姿が目に入った。「蓮司くんおかえりっ!」
声と同時に蓮司に抱き着く。その勢いに押され、恋は後ずさった。
「弘美さん、ただいま……って言うかそれ、やめてくださいといつも」
「なーに言ってるんだか。蓮司くんってば、私がいくら言っても帰って来ないんだから。こうして帰ってきた時ぐらい、蓮司くんを堪能しないとね」
弘美と呼ばれた女が、嬉しそうに蓮司に頬ずりする。明らかに恋より大きい胸を押し付ける。
その光景に圧倒された恋だったが、やがて我に返ると、顔を真っ赤にして声を上げた。「蓮司さん! どういうことですか!」
「あ、いや、その……これは違うんだ」
「え? 何が?」
「あ、今のはその」
蓮司が慌てて口を閉じる。恋ちゃんは自分にしか見えないんだった、そう思い笑って誤魔化す。
「そんなことより! 蓮司くん、ちょっと瘦せたんじゃない? ちゃんと食べてる?」
「食べてる、食べてるから。それよりいい加減離してくださいって、義姉さん」
「義姉さん?」
蓮司の言葉を恋が繰り返す。
「まーたまたまた、蓮司くんには特別、名前で呼ぶことを許可してるんだから。義姉さんなんて他人行儀な言い方しないの」
「いやいやいやいや、普通は逆だから。名前で呼ぶ方が他人行儀だから」
「相変わらず細かいなぁ蓮司くんは。まあいいわ、今日はじっくり付き合ってあげるからね。その分だとどうせ、ちゃんとしたものも食べてないんでしょ。お腹いっぱい食べさせてあげるから」
そう言って手を取り中へと進む。
蓮司は「分かった、分かったから弘美さん、靴脱がせてよ」と苦笑する。 黒木弘美。 蓮司の兄、智弘の妻。 蓮司にとって義理の姉に当たる女性との邂逅だった。翌朝。 目覚めた恋〈レン〉は蓮〈れん〉に電話し、神社で落ち合う約束をした。 腕に残る柔らかな感触。それが何なのかは分からない。 でもなぜか、温かい気持ちになった。 * * * 境内で待っている間、恋は不思議な感覚に戸惑っていた。 おかしな夢を見た気がする。 蓮くんと二人で、未来の自分たちに会っていた夢だ。 そこで未来の私たちは、おかしな雰囲気になっていて…… 断片的に、そこであった出来事が脳裏に蘇ってくる。 いっぱい泣いた気がする。蓮くんも泣いていた。 未来の私たちも泣いていた。 ただ一番最後の記憶、一番強く残っている記憶では、みんなが笑っていた。 その笑顔を思い出すと、幸せな気持ちになった。「ま、いっか」 夢だろうと現実だろうと、みんなが笑顔になれたんだ。 だったらそれでいい、十分だ。 真夏の空を見上げてそうつぶやくと、鳥居の方角から蓮の声が聞こえた。「ごめん恋、遅れちゃった」「蓮くんおはよう。私もさっき来たところ。大丈夫だよ」 息を切らせて走ってきた蓮。 恋は微笑み、ハンカチで蓮の汗を拭った。 * * *「昨日、変な夢を見たんだ」「え? 蓮くんも?」「も、ってことは、恋も?」「うん。おかしな夢だったの。でもね、夢にしてはリアルな感じで……本当に経験してきたみたいで」「僕もそんな感じなんだ。僕たちがね、未来の自分たちに会いに行って」「ええっ! 蓮くんもその夢見たの?」「恋もなのかい?」「……何だろうこれ……ああ怖い怖い、変な夢だっただけでも変なのに、蓮くんも同じ夢を見てたなんて」「僕たち、夢の中で意識がリンクしてたのかな」
「それで、お二人はこれからどうするんですか?」 恋〈レン〉の言葉に、花恋〈かれん〉が少し寂しげな表情を浮かべた。「これでお別れ、ってことかな」「はい……私は、と言うか私たちは、お二人の笑顔が見たくてこの世界にやってきたんです。これからどんな未来に辿り着くのか、それは分かりません。でも私は、今の笑顔を見れただけで満足です。今、最高の気分です」「僕も……未来の自分に会えたことで、自分の中にあったモヤモヤが少し消えた感じです。その……感謝してます」「僕もだよ、蓮〈れん〉くん。君に会えて僕も、昔の自分との誓いを思い出せた。君にとって今の僕は、決して誇れる人間じゃないと思う。だからこれから、君に安心してもらえる大人になれるよう、頑張るよ」「大丈夫よ蓮くん。ちゃんと私が見張ってるから」 花恋が笑顔を向けると、蓮は照れくさそうにうつむき、うなずいた。「元々は幸せな未来を見て、二人を冷やかしながら楽しく過ごすつもりでした。でも、想像してたのと全然違う未来になってて、お二人は幸せと言えない状況になってました。 私の目的は変わりました。何が何でも二人に笑顔になってもらいたい、それまで帰れないって」「元に戻った訳じゃないけど、恋ちゃんが望んでいた未来に近付いた。そういう意味では、これからが本来の目的になってもいいと思う。今からのんびり、私たちとこの時間を楽しんでも」 もう少し、この奇跡の時間を共有したい。そんな思いを胸に、花恋が恋を見つめる。「確かにそうなんですけど、でも……どう言ったらいいのかな。一仕事を終えて満足したって言うか」「ミッション・コンプリートだよね」 蓮の言葉に恋が笑顔でうなずく。「この時代に、私は必要以上に干渉しました。だから……この最高の状態で、私が本来いるべき世界に戻った方がいいような気がするんです」「そっか。やっぱ恋ちゃん、私だね。その決断、すご
「蓮司〈れんじ〉さん、花恋〈かれん〉さん。お互いに言いたいこと、全部言えたでしょうか」 そう言って笑顔を向ける恋〈レン〉に、蓮司も花恋も苦笑した。「そうね。細かいことを言えばキリがないけど、それなりにはすっきりしたかな」「強いて言えば」「蓮司、まだ何かあるの?」「あ、ごめん……そうだね、折角まとまりかけてたんだ。今のはなしで」「ちょっとちょっとー、そんな風に言われたら気になるじゃない。いいわよ別に、今更どんな話が出ても驚かないから。遠慮せずに言いなさいよ」「いや、でも」「いーいーかーらー、言いなさいってば」「痛い痛い、分かった、分かったからつねらないで」「よし、ではどうぞ」「花恋が、その……これ見よがしにゲップしたり、お尻を掻いたりするの……ちょっと控えてくれたら嬉しいなって」「なっ……!」 花恋が顔を真っ赤にしてうなった。「いや、別にいいんだよ。それくらいリラックスしてくれてるってことなんだから。ただほんと、ちょっと、ちょっとでいいんだ。僕にとって花恋は、何より大切な女の子なんだし」「……」 花恋が両手で顔を覆う。そしてしばらくすると、恥ずかしさのあまり声を上げて身をよじらせた。「あ、あはははっ……あのですね、蓮司さん。そのことなんですけど、実は理由〈わけ〉がありまして」 恋がそう言って、蓮司に説明する。「……なるほど、そういうことだったんだ。大丈夫だよ花恋。僕は女性、と言うか花恋のこと、人形だなんて思ってないから。そんなに恥ずかしそうにして、ははっ。無理してたんだね、ごめん」「ううっ……しばらく蓮司の顔、ちゃんと見れないよ……」「でもまあ確かに、お互い
うなだれる恋〈レン〉と花恋〈かれん〉。そんな二人に苦笑し、蓮司〈れんじ〉は頭を掻いた。「僕の決断、花恋にとっては受け入れがたいものだったと思う。でも僕は、夢から逃げる口実に君を使った訳じゃない。そういう風に感じさせてしまったのは想定外だけど、でも僕にとって、花恋の幸せ以上に大切なものなんてなかったんだ。それは信じてほしい」「……うん、信じる」「ありがとう。それと、僕もやっとすっきりしたよ。あの時の花恋、とにかく不機嫌オーラ全開だったから。何をそんなに怒ってるんだろうって、ずっと気になってたんだ」「何であなたってば、そんな……」「ごめんね。長い時間、こんなことで苦しませてしまって」 蓮司の言葉に、花恋は更に肩を震わせた。「それとさっき言った、花恋の期待が重かったという話。出来れば気にしないでほしい。僕にとってそのこと自体、決して嫌なことではなかったから。正直にってことだから話したけど、花恋にそこまで好きになってもらえる物語を書けて、僕は嬉しいんだ」「……ありがとう」「蓮〈れん〉くんもごめんね。本当ならこんな話、まだ恋ちゃんに聞かれたくなかっただろう」「いえ……僕も少しだけ、気持ちが楽になった気がします」「恋ちゃんはどうかな」「私は……蓮くんの物語が好きで、ただそれを応援したかっただけなんです」「だよね。君は本当に僕たちの物語、大切に思ってくれてた。僕たちにとって唯一の、最高の読者だったんだから」「でも、それが負担になっていたんだったら」「読者の期待は作者にとって、励みにもなれば重荷にもなる。そういう意味では、受け止めきれない僕たちにこそ問題があるのかもしれない」「そんなこと……私はただ、夢を語ってる時の蓮くんが好きで」「ありがとう。それでね、恋ちゃん、それに花恋。君たちの質問には答えたけど、この話には
「蓮司〈れんじ〉さん。あと一つ聞きたいことがあるんですけど、いいでしょうか」「改まって言われると、ちょっと構えてしまうね。それに恋〈レン〉ちゃん、ちょっとだけ顔が怖いよ」「執筆をやめた理由、もう一度聞かせてください」 恋の言葉に、花恋〈かれん〉も真顔になって蓮司を見る。「蓮司、それは私も聞きたかった。あの時あなたは言った。私との未来の為に夢を諦めるって」「そうだね、そう言った」 穏やかに笑みを浮かべ、蓮〈れん〉に視線を向ける。「でも……この話は蓮くん、言っても構わないのかな」 その言葉に、蓮の肩がピクリと動いた。「蓮司さん、それってどういう」「僕たちも昨日ね、色々語り合ったんだ。そして当然、この話題にもなった。 今恋ちゃんが尋ねたこと。それはね、蓮くんの今後の活動にも影響するかもしれないんだ」「そうなの? 私が言ってること、また蓮くんを巻き込んだ暴走なの?」「蓮くんが拒むなら、僕の口から言うことは出来ない。これはね、恋ちゃん。彼の大切な夢なんだ。彼が望まないなら、その日まで待った方がいいと思う」「蓮くん……」「いいですよ、蓮司さん」「本当にいいのかい?」「はい……確かに作家になるのが僕の夢です。断念する未来が来ると分かっていても、今の僕にはまだ諦められません。 ただ、未来の自分に会うなんて奇跡が起こって……きっとこれは僕にとっても、意味のあることなんだと思います。だから今ここで、恋にも知ってもらおうと思います。そうすることで、僕も新しい一歩を踏み出せるような、そんな気がするんです」「分かった。じゃあ答えるね」 蓮司が静かにうなずいた。「花恋との未来の為、夢を諦める。そう言ったのは本心だよ」「どうしてそんなことを」「言葉のままだよ。さっきも言った通り、僕には花恋を幸せにす
「ある時、花恋〈かれん〉に対する感謝の気持ちに、違う感情が混じってることに気付いた。花恋のことを考えるとドキドキする。手を握りたい、唇に指で触れたい。髪に顔を埋めたい、抱き締めたい……そんな気持ちが大きくなっていたんだ」 淡々と語る蓮司〈れんじ〉の言葉に、花恋と恋〈レン〉が顔を真っ赤にした。「そして思った。僕は花恋のことを、一人の女性として意識してるんだって。そうだよね、蓮〈れん〉くん」 そう蓮に投げかけると、蓮も恥ずかしそうにうつむき、小さくうなずいた。「自分の人生全てを捧げても返しきれない、それくらい花恋に恩を感じてる。それなのに僕は、そんな恩人に邪な気持ちを抱いていた。いかがわしい欲望を抱いていたんだ。それは許されることじゃない」「もういい、分かったから……ちょっと待って」 耳まで赤くした花恋が、そう言って蓮司の言葉を遮った。「いくら正直にって言っても、生々しすぎるわよ。何でもう、あなたって人は……いつも無口な癖に、話し出したら止まらないんだから」「ごめんよ。でも、これが本心なんだ」「それにしてもよ。そこまで恥ずかしい告白なんて、別にしなくていいの」「これでもかなり抑えてるんだけど」「それでも駄目。目の前には思春期の子供もいるんだからね」「……そうだった。ははっ、二人共ごめんね」 穏やかに笑った蓮司に、落ち着かない様子で恋がうなずく。「僕は花恋のことが好きだった。でもそれは、花恋にとっては迷惑な話だ。花恋にだって選ぶ権利があるし、何よりこんないい子なんだ、世の男共だって放っておかない筈だ、そう思ってた。 なのに花恋は幼馴染という理由だけで、僕から離れずにいてくれた。その鎖を断ち切ってあげたくて、僕は自分の気持ちを花恋に伝えた。 それなのに、何がどうなってか分からないけど、僕の告白は受け入れてもらえた。僕より遥かにスペックの高い大橋くんを振って、花恋は僕のことを好きだと言って